岩内の身欠きニシン

岩内は全北海道の身欠鰊の3分の1を生産する日本一。ニシンが北海道で漁獲されていた50年前は岩内に70軒以上の加工場があり、 ニシン加工の本場といわれていました。ニシンが姿を消した今日では、原魚は北米やロシア、大西洋沖からの冷凍輸入に変わっています。 製造も野干しから機械除湿乾燥になり、通年加工が可能で、生産量は増大。岩内では昭和29年に325トンだった生産量が平成4年には 3,358トンと10倍以上に増えています。平成4年の道内生産量は全国の約7割以上を占める約11,000トン。 そのうち3分の1を岩内が占めています。

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身欠きにしん製法

原料保管

現在、身欠きにしんや数の子の原料である鰊は近海では昔ほど漁獲出来なくなり、近海物(北海道産)が期間限定で、アメリカ・ロシアで漁獲される鰊(北海道加工産)を扱っている加工会社がほとんどで弊社もそのうちの一つです。海外で漁獲された鰊は冷凍されて国内に輸入されてきます。輸入された鰊を大きな冷凍庫で保存します。

解凍

冷凍庫で保存していた鰊を前日の仕事終わりに1000ℓもの水が入るタンクに入れ、一晩中水を流し、流水解凍します。

内臓除去・洗浄

解凍した鰊の腹を裂き、数の子や内臓を取り出し、数の子と鰊は血を洗います。

1次乾燥

血を洗った鰊は台車に吊るして、3~4時間程乾燥室で乾燥させます。

3枚おろし

1次乾燥を経た鰊を尾ひれ付近から頭の付け根辺りにかけて裂き、1番太い骨である中骨を除去します。鰊の名前の由来である説の一つの「二身(にしん)」にします。

2次乾燥

3枚におろした鰊を再度乾燥室で乾燥させます。乾燥時間はソフトで17~19時間。八分乾で5~6日間。本乾で2~3週間程乾燥させます。

選別・箱詰め

乾燥させた鰊を品質・重量等で選別します。選別後、計量し箱詰めします。

冷凍保管

箱詰め後、出荷できる状態で冷凍庫に保管します。

岩内にしん年譜

1751~1763年(宝暦年間)

岩内・古宇地方で初めて身欠きニシン、胴ニシンを製しこれらの福山を経て北陸地方に送る。

1873年(明治6年) 4月

初めて石炭を燃料としてニシン粕製造。

1874年(明治7年)

後志獲郡ニシン大漁。

1891年(明治24年)~1903年(明治36年)

全道春ニシンの漁獲最高百万石を突破。百万石時代の大漁時代となる。

1912年(明治45年) 5月4日

暴風のため岩内沖でニシン漁船遭難。

1919年(大正8年) 4月8日

岩内港内のニシン枠船47枚時化のため破損し約3万石が流出し、海岸はニシンの土提を築く。

1921年(大正10年) 4月10日

1万3千石漁獲したが大時化でニシン枠放棄。

1925年(大正14年)

岩内ニシン皆無。

1935年(昭和10年)

岩内にて身欠きニシンの二本取り加工始まる。

1938年(昭和13年) 4月16日

岩内で樺太よりニシン初移入、馬車1台(1,700~1,800尾)87円。この年2万5千石移入。

1951年(昭和26年)

島野村でニシンいずしによるボツリヌス菌中毒患者発生4名死亡。これは日本における同菌中毒のはじめ。

1953年(昭和28年)

後志沿岸ニシン漁皆無。

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